GREETINGごあいさつ
秒進分歩で進化を続ける技術開発の世界で、私たちは1918年の創業以来常に、その時代の最も優れた製品を、あるいは全く新しい発想の画期的な製品を開発し世に送り出してきました。
FUJIのメカトロニクス技術をさらに深く探求し、常にアグレッシブに既成概念にとらわれないしなやかな思考と行動力で世界の技術トップブランドを目指します。
COMPANY OUTLINE会社概要
- 社名
- 株式会社 富士製作所
- 所在地
-
〒410-0033
静岡県沼津市杉崎町11番11号
TEL.055-921-2233
FAX.055-921-2239
info@fujiseisakusholtd.co.jp
- 代表者
- 代表取締役 田中清明
- 創業
- 大正7年(1918年)11月3日
- 設立
- 昭和13年(1938年)3月5日
- 資本金
- 3,000万円
- 社有地
- 23,636m2
- 取引銀行
-
三島信用金庫 沼津支店
静岡中央銀行 沼津東支店
三菱UFJ銀行 沼津支店
- 営業品目
-
製材機械
- ・ノーマンツイン帯鋸盤・ワンマンツイン帯鋸盤・シングル帯鋸盤・油圧式全自動送材車
- ・傾斜式帯鋸盤+傾斜式自動送材車・横型帯鋸盤・ツインテーブル帯鋸盤・ツインセンターカット帯鋸盤・エジャーオプチマイザー・ダブルリッパー・トリプルリッパー・クオードリッパー・ダブルトリプルリッパー
- ・リングバーカー・ディスクチッパー
- ・原木カット用 スイングソー・チョップソー・デッキソー
- ・フレームソー
- ・金属探知機・各種自動搬送装置
- 輸出実績
-
インドネシア、マレーシア、フィリピン、ミャンマー、タイ、カンボジア、ミャンマー、ベトナム、
シンガポール、ニュージーランド、ブラジル、アメリカ、カナダ、 中国、韓国、台湾、ロシア(ソ連) 他
- 海外代理店
- Pansar Company Sdn Bhd(本社 マレーシア サラワク州 シブ)
COMPANY HISTORY会社沿革
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大正7年(1918年)創業者田中清一(明治25年9月3日~昭和48年11月27日)(現社長田中清明の祖父)が、大阪製材機工作所の商号にて大阪市西区石田町に工場を開設し「帯鋸製材機械」の専門製作を開始した。
-
大正13年(1924年)工場を大阪市木津川町1丁目1番地へ移転し、製品を全国各地の製材工場に納入した。
-
昭和4年(1929年)「工作機械部門」を発足させ、小型旋盤の製作を開始した。
-
昭和6年(1931年)社業の発展にともない、静岡県清水市袖師海岸に分工場を建設し、商号を「富士製作所」と改称
した。
この年、初の海外市湯に進出し、また、工作機械部門を拡充した。 -
昭和13年(1938年)田中清一の個人経営を株式組織に改め、「株式会社富士製作所」と改称し、初代社長に田中清一が
就任した。 -
昭和14年(1939年)現在の沼津工場が一部完成し、油圧式平削り盤、カム研削盤の生産を開始した。
-
昭和20年(1945年)終戦直後、国土の荒廃と人心の動揺の中で田中清一は日本の将来に思いを馳せ、国土の早期復興と
永遠に戦争を起こさない平和な国家を子孫に残すにはどうしたらよいかを考えぬいた。 -
昭和22年(1947年)平和国家建設のためには食料・資源の自給自足のための国土の立体的活用が必要であるとし、山岳地帯の多い日本国土において山岳部(日本の背骨)を貫く自動車道(現中央道・中国道)を軸とする
全国高速自動車道路網計画を含めた「平和国家建設 国土計画大綱」を立案し、当時の内閣ならびにG.H.Q(連合国軍総司令部)に提出した。
この計画はG.H.Qから日本再建のマスタープランとの評価を受け、G.H.Qにより「田中プラン」と
命名された。 -
昭和24年(1949年)製材機械の輸出を再開し、東南アジア諸国向けに業績は拡大した。
-
昭和25年(1950年)「工作機械部門」では、油圧式平削り盤、ラジアルボール盤、強力型旋盤の3種類を柱に製造販売
した。 -
昭和30年(1955年)日本初のオートメーション製材工場プラント1式を北海道の三井木材工業(株)るべしべ工場へ納入し、製材工場オートメーション化の新時代を開いた。
-
昭和34年(1959年)終戦直後に田中清一社長が立案した 「総合国土計画」 による日本の高速自動車道路網の建設を推進
すべく、各界から推されて参議院選挙全国区に立候補、 当選し 「国土開発縦貫自動車道建設法」 の 施行推進に力を尽くした。 -
昭和39年(1964年)製材機械の輸出が拡大し、マレーシア、ニュージーランドへ多数の製材プラントを輸出した。
-
昭和48年(1973年)フライス複合平削り盤を開発し、製造販売を開始した。
-
昭和55年(1980年)コンピューター制御の自動テーブル帯鋸盤を開発し、製材機械のコンピューター制御化の道を開拓
した。 -
昭和60年(1985年)製材機械部門では戦後初の中国市場へ参入をはたし、製材プラントをハルピン木器製造庁他へ納入
した。 -
昭和61年(1986年)電磁チャック方式のエレベーターガイドレール加工専用平削り盤を開発し、販売を開始した。
-
平成2年(1990年)ソヴィエト連邦の国営企業ダリレスプロムに製材プラントを輸出し極東のハバロフスク州他に製材
プラント7工場を納入した。 -
平成5年(1993年)ノーマンツイン帯鋸盤を開発し、省人化製材プラントの販売促進を図る。
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平成7年(1995年)レーザースキャナーによる木材板形状計測自動木取システム (オプチマイザー) を開発し、販売を開始した。
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平成14年(2002年)現社長田中清明が代表取締役社長に就任。
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平成18年(2009年)ソヴィエト崩壊後、ロシア連邦に再度営業を開始し、製材機械のロシアへの輸出を再開した。
-
平成23年(2011年)原木処理能力6本/分のワンウェイ式キャンタープロファイル製材システムを開発した。
-
平成30年(2018年)創業100周年を迎えた。
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